いのちの話

おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなってから1年くらいが経った。

長野に住んでる父の方のおじいちゃんは僕が小4の頃に亡くなった。

当時は、『人が死ぬ』ということにイマイチ実感がなかった僕はおじいちゃんの遺骨を骨壷に入れてる間も、特別な感情はわかなかった。
よくわかんなかったんだよね。

 

バタバタ色んな準備をしている父と母を横目で見ながら、なにしてるんだろーって思って見ていたよ。
小学校を一ヶ月近く休めてラッキーくらいの感覚で、一通り落ち着いてから登校した時に担任から

 

たいへんだったね。

 

とは言われたが、何が大変なのかよく分からなかった。

 

 

 

それからしばらくたって、
俺は20歳になった。

当時、冠婚葬祭の仕事をしていた俺は、
どこかの社長の豪華なお葬式や、
身内のみでやるお葬式や告別式をたくさん見てきた。

その時もやっぱり遺族はバタバタしていて、
とても大変そうだったのを覚えている。

今でも覚えてるのが、
亡くなった方に対して、その人の親友がスピーチをしていた。
失礼ながら、カタギでは無さそうなコワモテな方でしたが、声を詰まらせながらスピーチをしてる姿がとても目に焼き付いている。

あっ、これは俺なんかが見てはいけないと思った。
この方達の長い友情の物語に俺みたいな全く関係ないやつが参加していていいんだろうかって思いながら涙目で仕事をしていた。

この素敵なお葬式と告別式を見た後、俺も同じような最期を送れる自信はなかった。
なんだか自分の小ささにすごいミジメな気持ちになった。

 

 

 

それからしばらくして父の方のおばあちゃんがもう長くないかもしれないと言われ、家族みんなで長野にお見舞いに行った。

父と母は、俺とか姉に話す声とはまた違うような優しい声をおばあちゃんにかけながら体をさすっていた。
それでもなんだか実感がわかなかった。もしかしたら俺は感情が腐ってるのかって思ってきた。

 

またくるねって声をかけてから帰ったが、それから一ヶ月しないで亡くなってしまった。

 

それからしばらくして、実家でボーっとしてたら、お母さんが天ぷらを作ってくれてそれを食べてる時に、なぜかおばあちゃんが作ってくれた天ぷらの味をフと思い出して涙がボロボロ出てきた。
自分でも意味がわからなかったので隠れながら泣いた。
俺の涙腺、天ぷら…?ってなったよ。笑

 

この頃、やっと人の命がわかるようになってきた気がする。

 

 

それから何年か経ち、母の方のおじいちゃんがガンと闘病していた。

お母さんはほぼ毎日、おじいちゃんのお見舞いに病院に行っていた。

いっぱいケンカもしたらしいし、もうツラいし生きてる意味もないから殺してくれっておじいちゃんから頼まれることもあったらしい。

 

この時、自分の親が精神的に参ってる状態を初めて見た俺は、何も助けてあげられない自分がすごい嫌だった。

それから自分も時間がある限り、おじいちゃんのお見舞いに行くことにした。

 

ガリガリになったおじいちゃんと10分ほど会話して俺は帰るのだが、帰り際におじいちゃんは毎回俺にお小遣いをくれた。

おじいちゃんは俺が小さい頃からずっとお小遣いをくれた。お母さんから聞いたのだが、おじいちゃんは僕のことが大好きだったらしい。

おじいちゃん、俺はもう大人になったからお小遣いは必要ないよ。って言っても毎回くれた。

亡くなる前日にお見舞いに行った時も、
声もまともに出ないのに、体もまともに動かないのに、おじいちゃんがお母さんに何か喋って、お母さんがおじいちゃんの代わりに棚から封筒に入ったお小遣いを取り出して『おじいちゃんからだよ』と言って俺に渡した。

あっ、ヤバイこれは泣く、なんならもう涙出るって思った俺は、ありがとう、もう帰るねって言って、病室出た瞬間、涙が溢れてきて声を押し殺して泣きながら帰った。

 

それからおじいちゃんは全員で看取ってる時に亡くなった。
最期まで苦しそうだったけど、やっと楽になれたのかなぁ。

 

同時期におばあちゃんも認知症になってしまい、
後日にお母さんが、おじいちゃん亡くなっちゃったよっておばあちゃんに伝えたら、わかっているのかわかっていないのか、かなしそうな顔をしてたらしい。

おばあちゃんが認知症になってからお母さんはすごく忙しそうだった。

おばあちゃんは自分の娘である母も、夫であるおじいちゃんのことも忘れてしまっていたけど、お母さんはほぼ毎日看病しに、介護施設に行っていた。

最初のころは、いつも来てくれるけどあなたは誰?って言われてショックで頻繁に泣いていたらしい。

この頃と同じくらいに、俺は精神的にやられていて、本当に自殺を考えていた。

 

ある日、ご飯をお母さんと一緒に食べてる時に、
なんかもう死んじゃいたいなと口走ってしまった事がある。

バカな事言うんじゃない!って怒られるかと思ったけど違った。

そうだね、もう一緒に死んじゃいたいね。ってすごい悲しそうな顔でこたえてきた。

その時、久しぶりにお母さんの目と顔を見て初めてハッと気づいたが、めちゃくちゃやつれていた。
俺はとんでもないことを言ってしまったと後悔した。なんだか色んな感情がブワーッと溢れてきた。

そんなこと言わないでよ…って言って、俺は自分の部屋に戻って布団の中で後悔しながら泣いた。
もし、起きた時に朝、お母さんが自殺してしまっていたらどうしよう…と思いながら泣きまくった。

次の日、朝起きて一階に降りたら、お母さんはいつもと変わらない感じで、おはようと言ってきてくれた。

 

 

 

それからもお母さんは看病しに介護施設に行っていた。

俺も行ってみようかなって思い、
お母さんと一緒に行ったことがある。

あれ?おばあちゃんこんな表情だったっけ?
って思いながらも、
おばあちゃーん、けいただよー!遊びきたよーって声をかけた。

 

誰?

第一声がそれだった。

ショックなんてもんじゃなかった。
なんで?って思ったよ。

そして、俺がこんなにショックなのに、娘である母親はこれの何倍ショックなんだろう。想像もできない。

それでも会話を続けていくと、たまに俺を思い出してくれる。
お母さんは笑顔でおばあちゃんと会話を続けている。
なんだか、その場にいるのがこわくなってそのまま帰ってきてしまった。

 

帰ってる時に色々考えてしまった。

 

もし自分の親が自分のことを忘れてしまっても、毎日看病にいけるのかな。
おばあちゃん本人は生きていて楽しいのかな。
もし自分の親が認知症になって看病をしに行ったら、俺はもしかしたら看病疲れで親を殺しちゃうのかな…。

 

それからしばらくしておばあちゃんが危篤状態になり、俺たちは介護施設に行った。

俺はこの頃から一人暮らしをしていたので、介護施設まで時間がかかって着くのが遅かったのだが、おばあちゃんは俺を待っていてくれて、施設に着いてからしばらくして息をひきとった。

ピーーーってなった瞬間、お母さんが泣き崩れながら『お母さん、いっぱいひどいこと言ってごめんね!大好きだよ!』って叫んでいた。

 

俺が泣いちゃいけない。俺なんかよりもっと大変だった人が泣いてるんだからここは耐えなきゃダメだと思いながらも涙が出てきた。

肉親だった人が亡くなった瞬間に、初めて涙が出た。

 

 

結局のところ、
俺の親父も口には出さなかったが、息子や娘はめちゃくちゃ大変な思いをして自分の両親を看病しに行っているんだね。

 

その後、放心状態になっているお母さんを眺めていたら姉に、ちょっと来て、と呼ばれた。

 

お母さんこれから大変だから、私たちで助けてあげるよ。と言われた。

 

 

俺はハッとした。

当時、小学生のころ、父の方のおじいちゃんが亡くなった時に学校の担任に言われた『大変だったね』という言葉の意味がわかった。

 

 

気づくのが遅すぎた。

それからバタバタとお葬式などの準備を手伝ったが、あっと言う間に時間が流れた。

それから大体1年以上経ったわけだが、
その件があってから俺は家族の事が大好きになった。
なんだか絆みたいなものを感じるようになったよ。

 

 

今回、なんでこんな記事を書いたかと言うと、
今のところピンピンしてるけど、
もしこの先、俺の親が何かの病気で入院することになったとしたら、絶対に愛を持って看病をするという決意です。

それと、もし認知症を介護してる人が身近にいたら、たまには話を聞いてあげて下さい。

お母さんから、当時看病しに行ってた時、ケイタがたまに来てくれて精神的に助かった。たまに1人だと心細い時もあったと言われました。

俺自身はマジで何もしてないですが、側にいてくれるだけで、チカラになれることもあるみたいです。

たまにはこういうこと書きます。病んではいません。笑

 

 

いのちはデカイ。

みんなハッピーでありますように!

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